心ハテフム

心にまつわる自身の思いや体験をつらつらと

発達障害というラベル

最近、発達障害という言葉をよく耳にしますね。

割と最近認知されるようになった言葉のような気がします。

 

ADHDASD、LDなど種類も様々で、その濃淡も社会生活に支障をきたすようなレベルから一見するとわからないレベルまで様々です。

実は、自分の子供も発達障害なのでは?という話になり市の担当者や専門病院の方などの面談、問診を受けたことがあるようです。

 

なぜ【あるようです】と他人事なのかというと、そう言った場に仕事の都合で参加できなかった為なのと、発達障害とあてはめるには個人的には「?」と疑問を抱いているからです。

 

まず奥さんが娘のここがおかしい?と思った大きな点は

①集団行動時に他の子に合わせて行動できないことがある

②思い通りにならないと泣きわめいて心を閉じてしまうことがある

③集中力が続かない

と言った点です。

 

でも、これって子供なら当たり前じゃないですか?自分もそんな拗ね方したことありますし、少しのきっかけでやる気をなくして集団に加わらない(反抗心のような)ことなんて多々ありました。しかも娘の話は年長さんの頃の話です。

 

ちなみに発達障害の診断結果は「グレー」

うーん、、、、(´-`).。oO

 

性格や特性というものは誰しも持っています。そういう意味でハッキリ「白」と診断出来る人は少ないのではないだろうかと思います。

 

ですので僕個人の意見としては「グレー」が一般であり、これは母親に配慮した診断とも取れるかもしれません。

※母親にとっては【発達障害】という診断があればその子の特性だと良い意味で開き直れる。自身を責めなくて良い。

 

自分が子供の頃のクラスメートを思い出してみると、勉強がとても苦手でみんなに追いつけず怒りを抑えられない友達がいました。カッターナイフ出したりして笑

他にも、話をしようとするとどもってうまくコミニュケーションが取れない子もいました。

 

でもそれを個性として長い付き合いの中でみんなが受け入れていて、勉強苦手な子にはつきっきりで教えてあげてた子がいましたし、うまく話せない子はみんなから可愛がられていました。

 

確かに社会生活に激しく支障をきたすようなレベルであれば親の苦悩は計り知れませんし、【発達障害】というラベルによって本人も親も、ずっと気持ちが楽になるかもしれません。

 

しかしその「みんなと同じ事ができるか出来ないか」という判断基準により重要視されるべき個性への認識は薄れるのでは、、、なんて思ったりします。

 

いま小学生の子供の様子を見ると「手伝い」が宿題になっていたり、予定をつけたり、その管理をしたりなどなど

大人でも出来ない人が多いことを随分盛り込まれていて、遊ぶことは二の次といった学校生活になっている気がします。

 

それを当たり前の事として突きつけられ、苦手な子は発達障害?と疑われ、、

なんだかモヤモヤします。

 

ちなみに娘の場合、①の集団行動は意図せず参加できないのではなく「機嫌を損ねて意識的に参加しなくなる」という点で。②の思い通りにならない時も、少し落ち着いてからきちんと筋の通った理由を説明する事で立ち直り、必要であれば自ら謝れる。

という点で俗に言う発達障害にはあたらない子だと思っています。

 

最近は社会がどんどん自動化、マニュアル化が進む中で子供にも「きちんと出来る」が求められすぎていないでしょうか?

発達障害というラベルもその裏返しの産物なのではないでしょうか、、、。