心ハテフム

心にまつわる自身の思いや体験をつらつらと

見方を変えれば世界が変わる

最近もやもやすることが多くて。

久々に書きに来ました。

 

ある日、僕の息子が宿題をやりました。

 

問題には

「なかまでは無いものをえらびましょう」

と書いてあり、下記の図形が並んでいます。

【球体】【短い円柱形】【長細い円柱形】

 

僕は【球体】が答えだと思ったのですが、息子は【細長い円柱形】を選択しています。

 

ん?

 

と思い、息子に「何故これを選んだの?」と理由を聞いてみると、

 

息子:「2つは同じくらいの大きさだけど違うやつは細くて長いから。」

 

ハテフム:「いやいや、そういう問題では無いのよこれは、、」

 

と始まり、形の特徴を説明して【球体】が答え(なかまでない)であることを伝えました。

 

しかし息子は納得しません。

「教えてくれた友達は頭がいいんだ」とか

「絶対こっちだよ!」というばかり。

 

頑固な息子には今は何言ってもダメだと思い、

「明日先生に聞いてみな」とその場を収めました。(おさまってないかな)

 

そのあとすぐに、妻がその宿題を見てしまいました。

すぐにいつもの強い口調で指示がはじまります。

 

妻:「、、、じゃあ自分で考えてないのか!友達が言ったから書いたのか!バカじゃねぇの!」

 

はい、ひどいんですこの人。

子供に「役立たず!」とか「バーカ!」とかって平気で怒鳴ります。

 

妻はその後、僕と同じ説明をコンコンと強い口調で言いますが、ボロクソ言われた息子はもう意見を受け入れる状態ではありません。

当然か、、、

 

涙目で睨んでいます。

 

妻は自分が否定されると烈火の如くキレます。ときに暴れて、ここに書けないような事になったこともあります。

 

 

そんな妻の指導を眺めていてふと思いました。

僕や妻からすれば、この問題でいう【同じ】の観点は形。しかし息子の観点は【大きさ】です。

 

確かに、この宿題全般は形についての宿題ですが、問題の問い方からすれば間違ってはいないでしょう。息子には【大きさが同じなかま】なのですから。

 

世の中には、物の見方が違うだけで争っている人々がどれだけいることか。

物の見方を変えるという事は、相手の立場に立って考えるということにもつながるのかも。

 

そう思えて、僕は息子を否定し続けて宿題をやり直させることをやめました。

そして息子とあたたかいお風呂に浸かりながら言いました。

 

「1+1は2という一つの答えしかないのに、この問題は人によって答えが違うね。なんか不思議だね。正解かどうかはとにかく、他の子達がどういう答えをしてるか聞いてみな?」

 

 

息子は「うん!うん!」とうなづいていました。

 

 

妻は「図形がわからなくて将来困る事になったらどうするの!?」と心配して(キレながら)言ってきました。

 

息子はまだ小学一年生。

まだ勉強は始めたばかりです。

図形が少し苦手なのかもしれません。

文章から意味を理解するのが少し苦手なのかもしれません。

でもまだまだこれからです。

 

分からない事があることより

分からないことをわからないと言えない方が困りそうではないですか?

分からないと言えない環境を作ってしまう我々のほうがまずくないですか?

 

この子は絵本の話で涙する心の持ち主です。

人とは違う視点を持った子です。

学童できちんと宿題を終わらせてくる子です。

 

それだけでもう同時期の僕を超えているというのに、なにを否定することがあるのでしょうか?

 

僕は子供に何かを学んでほしいとあまり強く思いません。

それよりも「愛されている」という安心感を多く感じてほしいです。そうすれば相手の立場に立つ余裕と優しさを持てる気がします。

 

何かを学ぶ気持ちはその安心感の土台にいつか自然と乗っかってくると信じてます。

 

 

ちなみに息子ちゃんは宿題の答えをみんなに聞くのを忘れたそうです😆